NZの”サクッと10日病欠”という慈悲と、その裏に潜む”なんのこっちゃ医療”の迷宮
NZで働く日本人ナースが突然の「強制終了」。フェリチン8という極限の貧血でEDへ運ばれた先に待っていたのは、10日間の病欠という「慈悲」と、専門医から届いたまさかの「Decline(拒否)」通知だった。 患者としての孤独を経験して気づいた「自分を後回しにしない」ことの大切さを、NZの日常から綴ります。
Mieko - NZ現役看護師
2/12/2026


目次
1.10日間の病欠という「聖域」
2.カオスと化したNZ医療システムの深淵
3.スクラブを脱いで見えた患者としての孤独
4.全ての女性とその傍らにいる人たちへ
昨年末意気込んで狼煙を上げて始めたこのブログですが、実は1月前半以降、更新が止まっておりました。
待ってくださっていた奇特な方々がいらっしゃいましたら、お待たせしてすみません。
そして、ご心配をおかけしました。
しばらくブログ更新が止まっていたのは、おしゃれなホリデーに出かけていたからでも、執筆意欲が枯れ果てたからでもありません。
実は、私自身の身体が「強制終了(ログアウト)」を求めて、悲鳴を上げていたのです。
実を言うと私、数十年来女性特有の臓器の病に悩まされておりまして、
今までできるかぎりを尽くしながら、何とかだましだまし付き合ってきたのですが、
先月それがいよいよ限界を迎えたんです。
鉄欠乏からくる貧血様の症状で、仕事中にめまいと頭痛と動悸で立っていられなくなり、
ED(救急部門)に運ばれたのでございます。
直近のフェリチン(貯蔵鉄)が8という、理想値の8から10分の1くらいしかない恐ろしい低さでした。
症状を訴えた時の同僚ナースたちの親切とプロフェッショナルあふれる対応に涙を流しそうになるくらい感動しつつ、
制服のまま車椅子で救急に運ばれるという醜態をさらし、穴があったら入りたい気持ちになったものでした。
1. 10日間の病欠という「聖域」に守られて
そんなんでEDでの診察、後日のかかりつけ医でのフォローアップを受け、計10日間の病欠証明書を発行してもらえました。
この結果をボスに伝えた時、返ってきたのは問い詰めでもため息でもなく、
「了解、じゃサクッと休みを取りなさい。また復帰できそうなら教えて!」という、
逆にあっけないまでの温かな言葉でした。
何なら産休育休以外で病欠を10日間も取るなんて、私の人生でも初!
日本で取ったのはせいぜいインフルエンザに罹った時の数日くらいで、自分の年休を削りながら、
それでもシフトに穴を空けてしまった申し訳なさと罪悪感に苛まれ、復帰時は師長さんや同僚に菓子折り付きで頭を下げたものです...
しかしここはニュージーランド!
日本とはまるで真逆!!
まずニュージーランドでは法律で年間10日の病欠休暇が保証(※フルタイムや一定条件を満たす場合)されているという点(参考リンク)。
この病欠休暇は自分にも使えるし、家族の看病にも使えます。
また年をまたいで持ち越すことができるため、私も今回38日分もの病欠休暇がたまった状態でした。
今回10日の病欠といっても、私の雇用契約上のもともとの休日もシフトには含まれているため、病欠として使ったのは6日ほど。
この分全てフル給与でカバーされたため、仕事ができずに財布までも泣く...ということがありませんでした。
そしてただ制度があるだけではなくて、
実際にそれを「当然の権利」として嫌な顔一つせず使わせてくれる職場の文化や仕組みがあるということ。
・病棟管理者である師長も、スタッフの病欠を織り込み済みでシフトを組んでいる
・万が一シフトに穴が開いた場合、中央部門から補充用のナースがピンチヒッターとして来てくれる(Bureau Nurseと呼ぶ)ので、シフトが回らないということがほぼない
・同僚たちも皆病欠を取るのはお互い様だし、仕事もカバーしあうのが当たり前なので、だれも陰口を叩いたり、責めたりしない
こんな感じなので、スタッフは皆病欠は本当にびっくりするくらい気軽に取ります。
例えば「メンタル休暇」という名の持病の仮病を使ってちゃっかり病欠を取ったり、
毎年の病欠休暇を全て使い切ったりが普通で、
私のように病休を貯めまくっているナースの方が珍しいくらいなんです。
(日本人魂が抜けないのでね、ほら...)
私が病欠から戻った時も、事情を知ってる同僚たちは「大丈夫~?」と心から心配してくれたし、
たまたま知らなかった人たちも、「あれ、しばらく見ないからホリデー中かと思った」...くらいの明るいノリで迎えてくれたわけです。
これらが今回本当にどんなにありがたかったことか。
国も違えば制度も文化も違うけど、
病気で休むことが義務でもあり、権利としてきちんと認められているニュージーランドで働いてて良かったなと、心底思いました。
おかげさまで10日間の病欠で心身ともにリフレッシュでき、
NZの法律と職場の慈悲に感謝しつつ、「よし、またナースとして頑張るぞ!」と、
今はまた元気に働いております。
2. カオスと化したNZ医療システムの深淵
しかし10日間の休養で私の不調の根本が良くなったわけではございません。
次の治療のステップに進む時期に来ていると感じたため、GPに訴え、専門外来にかかれるように紹介状を送ってもらっていたのです。
その返事が来たのがつい今週でして、
その内容はというと…
飛び込んできたのは”Decline”のタイトル。
なんと婦人科からの紹介状却下の通知でした。
何でも情報が不十分だから、このままでは専門医に予約無理だから、GPとまた話してくれる?ってなオチ。
おいおいおいおい~~!!と思いません?
仕事中に倒れて、色んな治療をしてきてこのザマなのに、専門家の意見を仰ぐことすら門前払いとは...
どうしてこんなことが起こるかというと、ニュージーランドはかかりつけ医(GP)制度を取っており、どんな専門医の診察もまずこのGPにかかってからでないといけない。
さらにGPが紹介状を書いてくれても、緊急性や必要性が大して高くないと判断されれば却下、または順番の列に入れてもらえても、
4~12カ月待ちという放置期間が待っています。
注)これはトリアージ(緊急度判定)が最も低いカテゴリーに入れられた場合ですが、今のNZではこれが普通になりつつあります。
このお粗末なニュージーランドの医療システムの背景には
①圧倒的なリソース不足(専門医海外流出して数少ない、いても待機リスト長すぎ)
②インフラの老朽化と予算不足(高齢化や人口増加による患者増加に、インフラ整備が追い付いていない)
③「命に関わらない(Non-life-threatening)」の壁(すぐに死にそうという緊急事態でない限り、超低い優先順位となる)
という主な要因が絡み合って起きています。
私の今回のケースもこれらの落とし穴に見事にハマった感じで、特に③の部分ですね。
看護師として安全に仕事をするのに支障を来たすレベルなのに、
明日死ぬわけじゃないからね、しょうがないよね、頑張ってね、というわけです。
日本だったらその科のクリニックにその日に行くだけで事が済むのに、
NZの医療システムは、日本と比べると、そのアクセスのしやすさという点においては、
はっきりいって💩です。
残念ながら、私のため息はこれだけじゃ終わりません。
この紹介状却下を受けて、こりゃGPが大した紹介状書かなかったな、と踏んだ私は、
私のこの病気の現状がどれだけ日常生活に支障を与えているかという点を、
怨念を込めてGPへメールを書き、頼むからもう一回、ちゃんともう一回紹介状書いてくれと、送ったわけですよ。
そして受付嬢(という名のおばちゃん)から返ってきたのが
”うん、じゃ、予約とってGPと話してね”
1行、たったの1行メール!そっけなさすぎぃ~
でも前回の受診時に、1か月後に再採血しましょうねってGPに言われていたので、
どうせ受診するならその結果と合わせて話し合いたいと思い、
私の次の採血予約いつ入ってる?その結果出てから予約するからと投げ返したところ、
”ドクターは確かにそう言ってるね、でも予約は入ってないわね~”(また一行)
って、おい、YO!ドクターがそう言ってんなら採血予約しろよ!
…なんという虚無。
ニュージーランドのメールのやり取りっていつもこう。カスタマーサービスとかね。
わかってんならそっちで何とかしろよのブチギレにしか、いつも行きつく道がないわけです。
RNとして日々命の危機にある患者を看護しながら、自分が実際患者になってみれば、NZ医療システムのブラックホールへと呑み込まれてゆく...to be continued
3. スクラブを脱いで見えた、患者としての孤独
…で、このgdgdなメールのやり取りをしていて、ふと思ったんです。
結論:私はまだまだ諦めません。
長年、看護師として患者さんを「ケアする側」にいた私。
しかし、いざ自分が「待つ側」になった時、そこに見えたのは、あまりに冷酷で官僚的なNZ医療システムの壁でした
でもこのゆる~いGPや💩NZ医療システムに抗うには、自分が患者としてしっかりするしかないんです。
この国のシステムが「今は無理」って言うなら、私は自分の主体性(こちらではAutonomyと言います)を発揮して、
自分で自分の治る道を探すだけ。
それはワガママでも何でもなくて、自分の身体を一番大事にできるのは、結局自分しかいないのだから。
ナースとしてじゃなく、一人の女性として。
自分の健康のハンドルは、誰にも渡さない。
これって、NZでタフに生き抜くために一番必要なスキルなのかも、と思ったりします。
そしてもう一つ。
看護師としての私が、患者としての私に教えてもらったこと。
自分が看護師として病棟で忙しく走り回っているとき、私は患者さんの数値を”データ”として見るしかない時がある。
でも、その数値の裏側には、今日私が感じたような、言いようのない孤独感や、「このままで大丈夫なの?」という切実な不安が隠れていたんだな、と。
それは声なき声かもしれないけれど、医療システムが機能していない今だからこそ、
私たち医療従事者も、また患者自身も、マニュアルや規則を超えた「一人の人間としての声」を上げ続けなきゃいけない。
そしてその声をできるだけ拾っていかなくてはいけない、ということ。
4. 全ての女性と、その傍らにいる人たちへ
そして最後にどうしても伝えたいこと。
毎月毎月続く出血や静かな痛みと戦っているあなた、そして彼女らを支える周りの方々のことです。
今この瞬間も、重い生理痛や過多月経、そして鉛のような貧血と戦いながら、
何食わぬ顔で仕事や家事をこなしている、たくさんの女性たち。
でも、私たち女性は「いつものことだから」「みんな我慢してるから」と、
その痛みを静かに飲み込んでしまいがち。
どうか、自分を後回しにしないでください。我慢を美徳にしないでください。
あなたが「しんどい」と声を上げることは、ワガママでも甘えでもありません。
自分の身体の尊厳を守る、立派な戦いなんです。
さらに彼女の隣にいる大切な人たちへ。
(男性や家族のみなさん)
あなたの隣で笑っている奥さんやパートナー、同僚が、もし「今日はちょっと疲れた」と口にしたら。
それは甘えではなく、彼女の身体の中で、血液を失う不調が悲鳴を上げているサインかも。
「大丈夫」という笑顔の裏側にある、命を削るような彼女たちの切実さを知ってほしい。
女性が静かに抱えているこの戦いを、どうか少しだけ想像して、寄り添ってあげてほしい。
それだけで、救われる魂があるんです。
...さて、私の鉄分補給とAutonomy(主体性)を取り戻す旅は、まだ始まったばかり。
これからの展開はまた機会があれば追ってお伝えしますが、
まずは今夜、自分自身に「お疲れ様」と言って、二匹の猫たちと泥のように眠りたいと思います(笑)
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