20歳の饒舌、36歳の沈黙 ──夜の猛追 ”追いオンライン英会話” -移住記Ⅱ-
36歳、シングルマザーの母子移住記第二弾。ニュージーランドの「14歳ルール」という壁を、道一本の布陣で突破。語学学校では20歳の饒舌さに沈黙し、IELTS 3.0の現実に絶望するも、夜の「追いオンライン英会話」で猛追!地獄の専門学校編へ続く、覚醒の記録。
Mieko - NZ現役看護師
3/14/2026


目次
1.到着の洗礼:夢と冷気ともこもこ靴下
2.暮らしの土台作り:ホストに守られた順応期
3.道路一本の要塞:母の知略、車なしの布陣
4.語学学校の格差:20歳の饒舌、36歳の沈黙
5.授業後に夜な夜な「追いオンライン英会話」の狂気
前回の記事で移住前のへなちょこ英語を赤裸々に語りましたが、
今回はそれに続く、移住記第二弾!
異国に降り立った、6歳児の手を引いた36歳のシングルマザー。
英語力だけでなく、右も左もわからず、土地勘もコネもなし。
ナイナイづくしから始まった、私と息子のニュージーランド生活がいよいよスタート。
さてさてどうなることやら…
1. 到着の洗礼:夢と冷気ともこもこ靴下
ついにたどり着いた、2016年11月。
36歳の私が、息子の手を引き、全財産(?)と希望だけを詰め込んだスーツケースと共に降り立ったニュージーランド。
空はどこまでも高く、見るもの全てが新鮮で、
「あぁ、本当にここから始まるんだ」という高揚感で胸がいっぱいでした。
……が、その夜。
私を待っていたのは、感動の余韻を吹き飛ばす、予想外の洗礼でした。
「えっ、……寒すぎるんだけど」
春の終わりのはずなのに、夜の冷え込みが尋常じゃない。
足元からじわじわと這い上がってくる冷気に、高揚感は一気に生存への危機感へ。
それもそのはず、ニュージーランドは「一日の中に四季がある」と言われるほど寒暖差の激しい国。
移住して最初に買った記念すべき一品は、お洒落なインテリアでも現地のワインでもなく、
防寒(と、心細さという名の暴漢対策)のための「もこもこ靴下」でした(笑)。
そんな、震える足元で始まった私たちの新生活。
最初こそ友人宅の一室を借りる形でしたが、まもなくして、
私たちは自分たちの本当の拠点となる、現地家庭でのホームステイ先へと居を移すことになります。
2. 暮らしの土台作り:ホストに守られた順応期
移住後の最初の拠点は、現地のご家庭へのホームステイを選びました。
右も左もわからない異国で、私一人で「完璧な家庭」を維持しようと背負い込まず、
まずはこの国の空気に慣れることを最優先にしたのです。
ここでの生活は、日本でナースとして、シングルマザーとして走り続けてきた私に、
「誰かに頼ること」の大切さを教えてくれました。
・夕食の団らん: ホストが用意してくれる温かい食事を囲みながら、現地の生きた情報を教わる時間
・家事の役割分担: キッチンに立つのは、朝食と息子のお弁当を作る早朝のみ。掃除も自分たちのスペースに限定
「あれもこれもしなきゃ」という焦りを手放し、家事を最小限に整えさせてもらったことで、
ようやく私は、息子と向き合い、そして自分の学び(英語学習)に集中する心の余白を持つことができたのです。
もちろん、共同生活ですから、子供同士のちょっとした衝突もあり、気を揉むこともありました。
けれど、困ったときにすぐ相談できる誰かがそばにいてくれる温かさは、
何物にも代えがたい「移住初期の守護神」でした。
お世話になりっぱなしの半年間。
この「基盤」があったからこそ、私たちは少しずつ、
ニュージーランドの風に馴染んでいくことができたのだと、今でも感謝が尽きません。
3. 道路一本の要塞:母の知略、車なしの布陣
さて、移住直後のもう一つのミッション。
それは、息子とともに「私の学び」をどう確保するか、でした。
昼間、息子は現地の小学校へ、私は語学学校へ。
そんな生活が始まるわけですが、ここで大きな問題が立ちはだかります。
ニュージーランドへ親子移住する全ての家庭が直面する、日本とは正反対の「常識」の壁。
それが、「14歳ルール」です。
ニュージーランドの法律では、「14歳未満の子供を一人きりにしてはいけない」と厳格に定められています。
日本なら「鍵っ子」として家で留守番をしたり、一人で公園へ遊びに行ったりするのは当たり前の光景。
しかし、ここNZでは、短時間の留守番も、子供だけで登下校させることも法に触れる可能性があるのです。
つまり、親による学校への「朝9時前のドロップオフ」と「15時のピックアップ」は絶対。
ところが、たいていの語学学校は9時から16時まで。
「お迎え、どうすんのこれ?」という難題が、火を見るよりも明らかでした。
パートナーがいれば分担も可能でしょうが、当時の私は身一つ。
そこで私が取った戦略は、徹底した「近接」と「時短」でした。
・自分の語学学校と、息子の小学校を限りなく近くする
・自分のカリキュラムを13時までのパートタイムにする
その結果、私の語学学校(母)と、小学校(息子)が、
なんと道を一本挟んで真向かいという、奇跡のような配置が完成しました。
朝9時前、息子の小学校の門へ彼を送り届け(ドロップオフ)、そのまま道路を渡ればそこはもう私の学校。
13時に私の授業が終わったら、お迎えの15時までは近所の図書館やビーチで、
一人「猛追」の予習復習。あるいは、異国の風に吹かれながら心を整える……。
移住生活において、息子のケアを最優先にするためにあえて選んだ、この位置関係。
それは、高価な車を持たない生活を乗り切るための、現実的な選択であり、
「自分の都合以上に、まずは息子を全力で支える」という、母としての静かなる覚悟の証明でもありました。
4. 語学学校の格差:20歳の饒舌、36歳の沈黙
ついに、私の語学学校に通う日々が幕を開けました。
教室の扉をくぐるのは大学卒業以来、実に12年ぶり。
干支がちょうど一周回って、まさかニュージーランドで「学生」に戻ることになろうとは、
日本の病院で駆け回っていた頃の私は想像だにしていませんでした。
入学時のレベル分けテストの結果は「Intermediate(中級)」。
教室には中国、韓国、ロシア、ブラジル、スペイン、アラブ……。
そこは、ありとあらゆる国籍が混ざり合う、小さな地球のような場所でした。
そして何より圧倒されたのは、クラスメートの眩しいほどの若さです。
20歳そこそこの彼らは、現地の大学や専門学校へ進むための切符を手に入れようと、エネルギーに満ち溢れていました。
そんな中に、36歳の、一人の元看護師が混じり込む。
「授業についていけるだろうか」
「独り浮いてしまわないか」
初日の緊張感は、今でも指先の冷たさとして覚えています。
授業自体は、テキストを使って文法やリスニングを学ぶオーソドックスなスタイル。
陽気すぎる(後にそれがKiwiの標準だと知る)先生を中心に進んでいくのですが、
そこで私は、人生最大のカルチャーショックを受けることになります。
彼らは、とにかく、よく喋る。
しかも、恐ろしいほど堂々と!
同じレベルのクラスですから、英語力に大差はないはずです。
しかし、他国のクラスメートたちは、文法が間違っていようが発音が滅茶苦茶だろうが、
そんなことはお構いなし。
言いたいことがあれば、先生の言葉に被せてでも、あっちからこっちから勝手に話し出す。
日本の学校のように、質問を投げかけられて教室がシンと静まり返る
…なんていう「奥ゆかしい時間」は、そこには一秒も存在しませんでした。
教室の喧騒を前に、私の脳裏をよぎったのは、
下見旅行で語学学校を訪れた際に突きつけられた、あの残酷な数字。
「スピーキング、3.0」
あの時はまだ、どこか他人事のような、悪い夢でも見ているような感覚でした。
でも今、目の前で繰り広げられる20歳たちの饒舌なウェーブを前に、私は悟らざるを得ませんでした。
3.0という数字は、単なるテストの結果ではない。
言いたいことがあっても、喉の奥で言葉が死んでいく……今の私の「無力さ」そのものだったのだと。
私は必死に、その激しいウェーブに乗ろうとしました。
けれど、36年間かけて身体に染み付いた「遠慮」と「謙遜」、そして「正解を確認してから口を出す」という
日本人的な美徳が、無意識のうちにブレーキをかけてしまうのです。
平日の毎日、9時から13時までの4時間。
週に20時間も英語の海に身を浸しているのに、ふと振り返れば、自分が実際に英語を発した時間は、
そのうちの1日にわずか15分にも満たない。
3時間45分は、ただ他人のしゃべりを眺めているだけの沈黙の時間。
「こんなことで、本当に英語が話せるようになるのか?」
教室を出て、お迎えまでのビーチで独り座り込みながら感じたのは、
言葉にできないほどの焦燥感でした。
5. 授業後に夜な夜な「追いオンライン英会話」の狂気
「1日15分しか話せないなら、残りの時間を自分で作ればいい」
私がたどりついた結論はいたってシンプル。オンライン英会話でした。
日本にいる頃は「私はまだ英会話ができるレベルに達していない」と避けてきた、あの画面越しの会話。
でも、ニュージーランドの語学学校で、若いクラスメイトたちが教えてくれました。
英語は完璧じゃなくていい、言葉を叩きつける勇気こそがすべてなのだと。
私は、逃げないことに決めました。
予約制限のないサービスを選び、息子やホストファミリーが寝静まった深夜、
2〜3コマ連続の猛特訓を日課にしました。
画面の向こうの講師に、今日教室で喉の奥に沈めた言葉たちを、一つひとつ蘇らせていく。
講師と一対一の対峙。隠れられる場所などどこにもありません。
即座に聞き取り、即座に返す──。
その「瞬発力」だけを求めて、私は夜な夜なPCにかじりつきました。
当たり前すぎるんですが、英語を話せるようになりたかったら、
下手でも何でも恥もプライドも捨てて、英語を話してみることでしか、英語は上達しないんですよね。
昼間は語学学校、夜はオンライン英会話。
まさしく追いライス、ならぬ、
追いオンライン英会話 (笑)
そんな狂気じみた猛追を続けて数週間。
ある朝、教室に入った私を待っていたのは、今までとはちょっと違う「景色」でした。
20歳の彼らの饒舌さが、もはや雑音ではなく、輪郭を持った「言葉」として聞こえてくる。
先生のジョークに笑い、クラスメイトと他愛ない世間話ができるようになる。
クラスも途中で”Upper Intermediate (上中級)”に上がりました。
私の英語へのブレーキが、静かに、しかし確実に外れようとしていました。
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さて数カ月の月日が流れ、ようやく、この国の空気に馴染み始めた。
そう感じられるようになった頃、私の中に次なるステップが射程に入っていました。
英語を学ぶのではなく、英語で学ぶための場所へ。
しかし、この時の私はまだ知りませんでした。
次に待ち構えている場所が、この穏やかな語学学校が「天国」に思えるほどの、
本当の修羅場であることを……。
次回:IELTS 6.0突破と専門学校の地獄編、-移住記 Ⅲ- へと続きます。
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