「ですよね〜」から始まった移住。IELTS 3.0とMichelleを捨てた日 - 移住記Ⅰ-

「日本人看護師なんて見たことがない」——エージェントの宣告。IELTSスコアは絶望の3.0。ベテランナースのプライドを捨て、かつての憧れの名「Michelle」と決別し、母子でニュージーランドへ飛び立った日の真実。英語力ゼロから這い上がった、泥臭くも清々しい移住記第一弾。

Mieko - NZ現役看護師

3/11/2026

目次

1.「看護師は無理」─エージェントの非情な宣告

2.渡航前の「グダグダ英語学習」

 3.下見旅行での痛恨の「IELTS 3.0」

 4.覚悟が定まった後の「狂気」の猛追

5.プライドを捨てた先の清々しい旅立ち

お久しぶりです、皆さん。

なんだかんだと、またも更新が開いてしまった不定期We Kan GOブログ。

ちゃんと生きてますのでご安心を!

体調も意外と普通に、いつもの三交代不規則勤務もこなせています。

さて以前の記事では移住に至った経緯や決意の背景について語りましたが、

この記事からは、一体そこからどうなってああなってNZ看護師までなったの?.

..という道のりを少しずつ紐解いていく移住記シリーズを、

この記事を第一作目として始めて行こうと思います。

NZ看護師になって、英語を使ってグローバルな職場で働いています。

この字面、結果だけ見ると、いやいやMiekoさん、最初から結構英語話せたんでしょ?
と思う方も少なくないわけです。

否、全くの誤解です。

英語力?ナニソレ、美味しいの?

…という世界に住んでた、英語力皆無の一介のナースでした。

具体的にはどのくらいかといいますと、私の移住前の英語スペックはこんな感じ。

・小学校の頃3年間、AEONの子供版クラスに週1で通っていたけど、”Michelle”という謎のイングリッシュネームを持っていただけで、会話力は中学生レベルも怪しい

・その後の英語教育は中高6年間と大学の1年生の学校での勉強で終了

・高2の時、内申点目当てで受けた英検2級には落ちた

・大学2年生から移住した36歳まで丸16年間、英語には全く縁のない生活

…とまぁよくありがちな、全く英語が話せない聞けない、平均的純ジャパニーズ。

ここからどうやって医療現場で使える英語力を身に着けて、ニュージーランド生活をサバイバルしていったのか、

そんなことを語っていきたいと思います。

1. 「看護師は無理」──エージェントでの非情な宣告

ニュージーランド移住を真剣に検討しだしたのが、私が34歳の頃。

まず始めたことは、現地エージェントが日本の主要都市で開催していた、「移住セミナー」に参加することでした。

やっぱり現地のことは現地精通した人に聞くのが一番だろう、と。

仕事の休みを利用して、東京や名古屋に新幹線で高速移動して、セミナーには3回ほど参加したかな?

少しずつ移住イメージや具体的手順を固めていく中で、対面で個別コンサルティングも受けることにました。

人生を賭けた決断だし、息子を連れての母子移住ですので、慎重には慎重を期すために。

現地エージェントの方に私の経歴をシェアし、どういう道のりで移住生活やビザ問題を乗り切ればいいか相談しました。

そして返ってきたのは

「看護師で移住するのは難しいでしょうね。だってIELTS7.oですよ。
僕は、日本人看護師見たことないですもん。
日本人には無理ですよ」

という厳しい言葉。

IELTS(アイエルツ)とは、NZ移民局や看護協会が、
移住者や専門職の英語力を測るために採用している世界基準の英語試験のことです。
公式サイト

リスニング・リーディング・ライティング・スピーキングの4技能を各9点満点で判定しますが、

NZ看護師登録には全技能7.0点という、ネイティブ並みの極めて高い壁が要求されます。

これは日本で言えば、英検1級と同等かそれ以上に相当すると言われています。

で、ですよねー…ええ。

わかります、わかりすぎますとも。

大学卒業後、社会人経験すべてを看護に捧げたからこそわかる、看護師として言語能力がいかに重要かという事実。

看護師が「言葉の壁」でつまづいて、薬の量や医師の指示を聞き間違えたり、患者さんの訴えが正しく理解できなかったら...

そりゃ看護師として失格に決まってます。

中学英語も怪しい私が目指すには、あまりにも高い壁。

そこで現地エージェントから代替案として提案されたのは、看護師としてのスキルと経験を生かし、

介護士の仕事に就いて生計を立て、そこからその後のビザを目指すという道。

看護師しかしたことのない私にとってはキャリアダウンにはなりますが、

異国の地で、母子移住という不安定な立場で這い上がるには、最も現実的な道でもある。

キャリアダウンが不本意なんて言っている余裕は、当時の私には一ミリもありませんでした。

さらにその時点での英語力では、介護士就職すらもままならない、へなちょこレベル。

最初は、私は語学学校、息子は現地の小学校から。

学生ビザで入国して、ゼロから積み上げていく選択肢しかなかったのです。

2. 渡航前の「グダグダ英語学習」

さてニュージーランドという英語圏で生きていくためには、英語が必要、という当たり前すぎる現実。

英語やらなまずいよな、と一応英語の勉強は移住1年ほど前から始めました。

しかしそこで陥ったのは、どうやって勉強したらいいかわからない、何から始めたらいいかわからない

…という英語初心者あるあるの罠。

ネットサーフィンで英語学習についてのサイトを読み漁り、

最初1ヶ月はその情報収集でお腹いっぱい、満足して英語を勉強した気になる、単純な私。

そんな中、英語を話そうにも、まずそのための話す道具や武器が何にもなくね?と気づき、

これはインプット学習だ!と単語、文法、発音、リスニングの勉強から始めました。

フルタイムの仕事と保育園児を抱えながらの生活。

起きてる時間は息子の相手、就寝は息子と一緒の夜8時、という超健康すぎるライフスタイルを送っていたため、

勉強に使っていた時間は、毎日の通勤ドライブの車中と、週に1~2日あるかないかの平日休みくらいでした。

そんな片手間の勉強でどうなったかというと…

通勤ドライブで流していた単語帳付録のCDは、暗唱できるほどにまでなったけど、

新しい英文だと途端に何言ってるかわからない、スピードある会話には到底ついていけない。

当然全く実用レベルには届くはずもなく。

そこにあったのは「なんとかなるだろう」という甘え。

「疲れているから」という言い訳。

参考書を開いては閉じ、何とか始めたと思っても眠くなり、身に入らないまま時間だけが過ぎていく。

全く手を付けることのなかった英語学習教材もたくさんありました。

自分の英語のできなさにちゃんと向き合わない、どこか他人事のグダグダの私がいました。

3. 痛恨の「IELTS 3.0」というビンタ

そんな適当英語学習を続けていた私に訪れた転機は、下見旅行という名の現地体験でした。

移住予定時期の半年前、2016年4月。

当時の職場の慈悲で1週間の休みをもらい、私単独でオークランドに下見旅行に来ました。

エージェントに手配してもらって、候補の語学学校や小学校の見学をしたり、

現地のスーパーや路地を歩いてみたりしました。

ニュージーランドは留学を国の基幹産業として位置付けていることや、

移民に慣れ、素朴で親切なKiwi(ニュージーランド人の愛称)が多いことから

下見旅行、どこへ行ってもウェルカムムード。特に学校見学はとても楽しかったです。

語学学校の見学では、入学後のレベル分けで使われている英語テストも無料で受けさせてもらえました。

今までの勉強の甲斐も多少はあり、筆記試験ではそれなりの点、IELTSで言うところの5.5くらいは取れました。

しかし。壊滅的だったのがスピーキングテスト。

試験官を前にして、その場の雰囲気、現地人の英語スピードに完全に圧倒され、

気がついたら口が石化し、たどたどしい単語や、あーうーといううなりしか捻り出せず。

文字通り、完敗。

そして突きつけられたスコアは、無慈悲な「スピーキング3.0」

筆記試験で少し調子に乗った私を完膚なきまで叩き落し、会話となると全く歯が立たない自分を嫌でも思い知ることに。

この、スピーキングスコア3.0という強烈なビンタが突きつけたのは、

「このままではニュージーランドでは息子を守れない」という冷酷な現実でした。

4. 覚悟が定まった後の「狂気」の猛追

これは本気で英語を勉強せねばヤバい!とようやくお尻に火が付いた私は、

そこからようやく真剣に英語を勉強し始めました。

休みの日は暇さえあれば英語学習のため机に向かい、音読しました。

少しお金を出し、3カ月の集中英語コーチングもマンツーマンで受けました。

英語コーチから出る宿題を毎日必死にこなし、

コーチングプログラムの一環で2016年9月にTOEICも初受験しました。

頑張った成果もあり、初受験にしてはまぁまぁのTOEIC735点という点を取得しました。

現地で生きるには、仕事を得るには、到底目標に追い付いてないことはわかっていましたが、

異国で野垂れ死なないためには、必死になるしかない。

その英語コーチに教わったことですが、英語の上達の近道やテクニックなんてものは存在しない。

とにかく圧倒的な量をこなすしかない。

それにはそれなりの集中力と時間が、マラソンのような長期的な努力がどうしても必要なのです。

もっと早くから本気で頑張っていれば、とどれだけ後悔したことか…。

そのコーチの教えはその後の移住生活の英語学習の道しるべとなり、

この後も長く続く闘いを生き抜く、一つの大きな支えとなりました。

5. プライドを捨てた先の、清々しい旅立ち

そして2016年10月31日。私は息子の手を引いて、日本の家族に別れを告げて、

成田空港からニュージーランドへと飛び立ちました。

期待と不安と、色々な気持ちが混じっていたような気がします。

当面の目標は、まずは、異国の地で息子と息をすること。

それだけのために、私は「Michelle」という少女の夢を捨て、「13年目ベテランナース」という肩書きを捨て、

一人の”無力な母親”として、重い一歩を踏み出すことを決めました。

そうして私と息子のニュージーランド生活は幕を開けました。

さてさて、この後私と息子の母子移住生活がどんな風に展開していったのか?

続きを読んでやってもいいという方がいらっしゃいましたら、

私個人あるいはWKGのXアカウントで更新通知しますので、良かったらフォローをよろしくお願いいたします。

【追伸:Michelleのその後】

ちなみに、成田で捨て去ったはずの「Michelle」ですが…。

実は今でも、時々ひょっこり現れます。

現地のピザ屋なんかで出前の電話注文をする時、「Mieko」だとなかなか一発で聞き取ってもらえず、

説明している間に日が暮れそうになるので、そんな時は秒で通じる「Michelle」を名乗っています。

私が電話口で ”Hi, this is Michelle!” と言うたびに、横でKiwiの夫が爆笑していますが、

これもまた、異国で図太く生き抜くための「現在の生存戦略」ということで(笑)……。

それでは、また次回の更新で!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。